最期まで現役続行を続けた日野原重明先生。生活習慣病を提唱し、変えた男。

2017年7月19日

[voice icon=”https://local-innovation-kichijoji.jp/wp-content/uploads/2017/07/character.jpg” name=”ライト君” type=”l”]今月18日、105歳で亡くなられた日野原重明先生。

 

正直なところ、ニュースで見るまでは、日野原先生の事をご存知なかった。

 

しかし、亡くなられてニュースを見て、日野原先生の活動や思い、行動力に感銘を受け、ご冥福をお祈りすると共に、日野原先生の想いがこの先もずっと日本に拡がり続けてほしいと想い記事にしました。[/voice]

 

日野原重明先生とは?

日本のお医者さん。聖路加国際病院名誉院長、上智大学日本グリーフケア研究所名誉所長、公益財団法人笹川記念保健協力財団名誉会長、一般財団法人ライフ・プランニング・センター理事長、公益財団法人聖ルカ・ライフサイエンス研究所理事長などを務めました。

 

日野原重明先生の主な功績

多くの実績を残した日野原先生。中でもみなさんの記憶と感情に残る事件や出来事に日野原先生は関わっていたのです。

 

よど号ハイジャック事件

日野原重明氏は、58歳の時に、よど号ハイジャック事件の人質となった経験がありました。赤軍派9人にハイジャックされた日本航空機(よど号)に搭乗していて、福岡(板付空港)から韓国(金浦空港)へと移動し、機内に3日間監禁され、無事解放されたのです。

 

日野原先生はこの事件をきっかけに、

事件に遭ったことで大切な人生の転換期を迎え、私の第2の人生が始まった!

「単なる席順の都合ではあったんですが、一番最初に解放され、飛行機から降りたのは私だったんです。そして金浦空港に足を一歩踏み出して、足の裏に土がついた瞬間に強烈なインスピレーションを得たんですね。「私のいのちは与えられているいのち」で、59歳までは、私の人生であったけれども、この60歳からの私の人生は、私のものではなく与えられたものだと心底感じて、私の新しい人生が始まったんです」

 

日野原先生はこの事件をきっかけに、医師としての活動が大きく変わります。

 

日本初!人間ドックを作った人

昭和29年に民間の病院でははじめて人間ドックを導入しました。成人病ではなく生活習慣で病気になる事を提唱し、のちに成人病を生活習慣病に名前を変えた人でもあります。生活習慣を改善して病気を予防するという考え方を普及させました。

 

地下鉄サリン事件では病院を解放

平成7年3月に13人が死亡し、約6300人が負傷したオウム真理教による大規模テロ「地下鉄サリン事件」の際には、院長として聖路加国際病院を開放する決断を下し、被害者対応のリーダーシップを執りました。

 

当時83歳だった日野原さんは「これはただ事ではない」と直ちに判断、外来患者の診察など通常の業務をほとんど全て中止した上で、被害者約640人を受け入れたといいます。

 

受け入れができた背景には、日野原さんの“備え”もありました。事件発生3年前に完成した新病棟は、視察先の北欧の病院からヒントを得た日野原さんの発案で、大災害の発生を見据え、廊下や待合室などの壁面に酸素の配管が2千本近く張り巡らされ、広いロビーや礼拝堂施設も設けられました。事件では廊下や礼拝堂は緊急応急処置場として被害を抑える役割を担ったのです。

 

成人病から生活習慣病へ。予防医学を提唱。

生活習慣病はかつて「成人病」と呼ばれていました。それは成人した40代~60代の人が罹りやすい病気だと思われていたからです。しかし、成人病が世代に関係なく、生活習慣に関わる病気であることにいち早く気づき、「生活習慣の改善によって予防し得る」という認識を人々の間に広く浸透させようと成人病を「生活習慣病」と名付けた名付け親が日野原先生です。

 

日野原は聖路加国際病院の院長であった1970年代に「習慣病」という言葉を生み出していたのです。

 

日野原重明先生が残した名言

人間にとって最も大切なのは、
命の長さだと思っている人は多い。

しかし、私が出会った人を振り返ってみて、
その人の命が素晴らしい命だと
思える人においては、

ごく少数の例外はあるにせよ、
命の長さはあまり問題ではない。

 

生きがいとは、
自分を徹底的に
大事にすることから始まる。

 

鳥は飛び方を
変えることは出来ない。

動物は這い方、走り方を
変えることは出来ない。

しかし、人間は
生き方を変えることが出来る。

 

何事も、今ある規則のとおりに
やっていたのでは進歩はない。

規則を破るようなことをやらないと、
現状はなかなか変わらない。

規則を破ったとしても、
皆が応援するような破り方をすればよい。

自分の命がなくなるということは、
自分の命を他の人の命の中に
残していくことである。

自分に与えられた命を、
より大きな命の中に
溶け込ませるために生きていくことこそ

私たちが生きる究極の目的であり、
永遠の命につながることだと思う。

そうすれば、
新しい良い規則がずっと早く出来る。

 

二十世紀の日本人は、
自分の中にないものを先進諸国から
とりいれようとして忙しく働きすぎた。

そして、古来の日本人の内にあったよきもの、
奉仕する心、人情、
よき伝統を忘れてしまった。

 

私たちに与えられた恵みを数えてみれば、
どんな逆境にあったとしても、
受けているものの方が、
与えるものよりも多いことに気付く。

受けた恵みを、どこかで返そうと
考えたいものである。

 

多くの人々は自分の財産や名声や
地位を得るために全力投球している。

それなのに、財産やお金よりも大切な、
自分の命のために
全力投球している人は少ない。

なぜ、その大切な命のために、
時間と財産を提供しないのか、
そうして安全に確保された命を
思いきり有効に使おうとしないのか。

自分の命を
自分で格調高く保つための勉強を、
めいめいがもっとしなければならない。

 

老人のケアは苦労も多い。
しかし、いつの日にかあなたも、
あなたが老人にしたようなやり方で、
ケアされる日が必ず来るのである。

 

 

まとめ

いかがでしたか?

 

私たちに予防医学、生活習慣を整えることで人生が変わる、自分を大切にすることで幸福に生きれるなどなど、素晴らしい考えを残してくださいました。

 

本当に本当に最期まで、私たち日本の為に尽力注いでくださったことに脱帽です。ありがとうございました!!!!

 

どうか、安らかにお眠りください。ご冥福をお祈りいたします!